世界史の教科書で誰もが一度は耳にする「ワーテルローの戦い」。
今回は、ヨーロッパの歴史を大きく揺るがした英雄ナポレオンの終焉の地へのリアルな行き方と旅のコツを解説します。
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ワーテルローの戦いとは?
1815年6月18日、一度は失脚してエルバ島へと流されたものの、奇跡的な脱出を果たして皇帝へと返り咲いたナポレオン・ボナパルト(いわゆる「百日天下」)が、ヨーロッパの命運をかけて挑んだ歴史的最後の決戦です。ウェリントン公が率いるイギリス・オランダ連合軍と、ブリュッヘルが率いるプロイセン軍の連合軍を相手に、ベルギーの泥濘んだ大地を舞台として凄まじい死闘が繰り広げられました。
戦いは終始一進一退の攻防が続きましたが、勝負の終盤に戦場へ到着したプロイセン軍の執念深い側面支援が決定的な打撃となり、それまでヨーロッパを席巻していたフランス軍はついに壊滅的な大敗北を喫することになりました。この敗戦によってナポレオンの野望は完全に打ち砕かれ、大西洋の絶海の孤島であるセントヘレナ島への流罪が決定。彼の波乱万丈に満ちた劇的な時代はここに幕を閉じ、ヨーロッパに新たな国際秩序(ウィーン体制)が築かれることになりました。
現在でも、英語圏をはじめとする世界各国において「ワーテルロー(Waterloo)」という言葉は単なる地名を超えて、「人生における決定的な敗北」や「逃れられない運命の敗戦」を意味する代名詞として深く定着しています。それほどまでに、この一戦は当時の世界情勢と人々の記憶に強烈なインパクトを残した一大事件でした。
ワーテルローはどこにあるのか?
戦いの舞台となったワーテルローは、ベルギーの首都ブリュッセルの南約15kmに位置する、現在はのどかな美しい田園風景が広がる地域です。
当時の激戦地であったことを後世に伝えるため、周辺には「ライオンの丘(Lion’s Mound)」と呼ばれる巨大な人工の丘がそびえ立っており、その頂上に佇む咆哮する一頭のライオンの像が、かつての戦場となった広大な平原を静かに見下ろしています。
日本からのアクセス方法と費用
ヨーロッパの中心部に位置するためアクセスは非常に容易であり、首都ブリュッセルからの日帰り小旅行として抜群のロケーションを誇ります。
日本からブリュッセルへ(航空券:往復12万〜18万円)
日本からの直行便はありませんが、フランクフルトやパリといったヨーロッパの主要ハブ空港や中東の都市を経由して、ベルギーの空の玄関口であるブリュッセル国際空港へ向かいます。
ブリュッセルからワーテルローへ(交通費:片道約1,000円)
ブリュッセル南駅(Midi)などからベルギー国鉄(NMBS/SNCB)を利用し、ワーテルロー(Waterloo)駅またはブレヌ・ラルー(Braine-l’Alleud)駅へ向かいます(所要時間は約20〜30分)。到着後は、現地の路線バス(TECバス)に乗り継ぐか、ブレヌ・ラルー駅から約30分ほど徒歩で「ライオンの丘」を目指します。
旅の注意事項
ワーテルローへの旅は、一般的な観光スポット巡りとは一味違う、歴史の深いロマンを感じる探求の旅です。以下の点に注意してください。
226段の急な階段と「何もない平原」
最大のハイライトであるライオンの丘の頂上に登るためには、自力で226段もの急な階段を登り切る必要があります。しかし、息を切らして登り切った頂上から広がるのは、平和な農地がどこまでも続く「何もない平原」です。ここで約20万人の兵士が血で血を洗う死闘を繰り広げたという歴史の重みを、自分の脳内でどれだけリアルに再生できるかが、歴史ファンの腕の見せ所となります。
最新鋭の地下博物館での予習
ライオンの丘の麓には、古戦場というロケーションからは想像できないほど立派で近代的な「ワーテルロー1815メモリアル」という地下博物館が整備されています。ここでは3D映像やダイナミックなパノラマ画を駆使して戦いの推移が非常に分かりやすく解説されているため、丘に登る前に必ず立ち寄って戦況をしっかりとインプットしておきましょう。
勝敗を分けた「ウーグモン農場」の散策
ライオンの丘から徒歩圏内には、ナポレオン軍の猛烈な攻撃に対してイギリス軍が死守し、戦いの勝敗を決定づけた極めて重要な拠点「ウーグモン農場(Hougoumont)」の跡地が残されています。農場の壁に残された生々しい弾痕を間近に見ることで、教科書では決して伝わらない戦いのリアルな熱量と凄まじさを体感することができます。
英雄の夢が散り、ヨーロッパの枠組みが大きく塗り替えられたワーテルローの大地。歴史の足跡を肌で感じるタイムスリップの旅に、ぜひ出かけてみてください。